おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

振袖の呪い(続編?)

私は2年前に成人式に行けなかった&振袖を着られなかった故に呪い散らかしたブログをあげた(https://momonnu.hateblo.jp/entry/2019/01/12/023633)。

んでやっぱ今回の成人式中止騒動や、今年の新成人への社会からの同情に複雑な気持ちを抱いている。

なんか、自分は成人式にどうせ行けないし振袖も着れないのなら、いっその事今年が私の新成人の年なら良かったのにみたいな。
本当は綺麗な振袖を着て家族で笑顔の写真を撮って周りの人達からも沢山祝って欲しかったのに、誰からも見向きもされずに居ないものとして扱われた成人式。誰かに祝福を剥奪された様な気持ちになり、呪いで自分を焼いていた成人式。身を焦がすっていうか、炙ってたよね。火あぶりだった。当時のブログを読み返すだけで胸が痛む。

あれ、今年だったらマシだったんじゃね?って思う訳です。



まぁ有難いことに私は、自分で開催した退学式で因縁の振袖を着て(着るまでも1悶着あった)、家族よりも全然大好きな人達と笑顔の写真を撮って貰って、沢山の人達から祝福を受けて、私の振袖の呪いは解けたと思っていた。(それはそれとして振袖を用意してもらえる生まれながらに三塁に居る人へは未だ若干複雑な気持ちではいる)

んだけど、今年の新成人のみなさんへのフォローや同情の入り具合を見るにつけ(それは本当にごく1部が取り沙汰されてるだけで、実は全然足りてないんだろうけど)
「めちゃくちゃ羨ましいな〜(浅ましい)」
とか思ってしまう自分もいる。

羨ましいと思ったからって別にあの頃の祝福されなかった自分がもう1度呪いで焼かれたりはしないけれど、羨ましいと素直に言えるだけ随分ヘルシーになってきてはいるんだけれど、やっぱ心の底から新成人の方々へ向ける視線として相応しいものでは無いものが生まれてしまう。

こんな…さもしい視線を送る大人…やだ……でもめっちゃ心底羨ましい……
みたいな気持ちにもなりつつ、今年の新成人にも祝福されて欲しいのです。引き裂かれ根性。引き裂かれ魂。
てかまぁ、羨ましいって気持ちで済んでるのは相手が後輩達の代だからってだけで同期の代だったらまた呪い散らかしてたかもしれないんだけど。

あの時本当に祝福されたかったんだなぁという気持ちに苦笑いしつつ、羨ましいと許せないは全然イコールじゃ無いんだからねって自分を戒めつつ。

まぁとりあえず何かにつけて色んな人に祝ってもらってるし、自分で自分を焼かなくていいのよ。私。

あと退学式で振袖を着た時に
「これで成仏した!これからは振袖着れない子達に振袖を貸し出す先輩になる!」
って思ったの、今でも覚えてんだからね。