おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

演劇をしてきた

先日、某団体に参加して横浜で演劇をしてきた。
急遽の参加だったため、稽古に2回しか参加出来ず、アンダーキャストとして台詞を覚えたり、複雑な出ハケを覚えたり、自分の出演シーンの段取りを覚えて重なる変更についていったり、他の出演者の出ハケのQを出したり(それを覚えたり)と、頭から煙が出そうになりながら参加していた。
いや、台本解釈や役作りの時間を取れなかったのめちゃくちゃ悔しいが楽しかった。

去年はそんなこと無かった。
本番の日の1年前は、措置入院中でお箸を叩き折って飲んでちょっとした騒動を巻き起こしていた日だった。
初めての精神科入院で、初めての閉鎖病棟で、世の中が私を無視して通り過ぎていくという感覚が強く、私は生きているのに存在しない事にされているという恐怖が強く襲いかかっていた。

生存の無視をされる恐怖がリアルな感覚として分からない人は、とりあえず戸籍を失ったと思ってもらったら良いと思う。そんな感じ。
どれだけここにいると叫んでも届かない絶望感と憤りが常にあった。

何をきっかけにしてお箸を飲んだのかはもう思い出せないけれど(多分病院がクソだったからだろうけど)、この恐怖や絶望や憤りは常に根底にあったと思う。
だから入院中に体調が落ち着いてる時は、ずっと演劇がしたかった。生存を叫びたかった。私が生きている事を(あるいは暴力を伴ってでも)認めさせたかった。

だから今年、絶対措置にはなんねぇぞみたいな意気込みでもって苦手な季節をやりくりしていたのだけど、この時期にひゅっと演劇の話が舞い込んで来たのは何か運命的なものも感じた。参加する団体が、精神疾患などを持つ人たちの団体だったのも、なんとなく、あぁそういうことなのかな。とか思った。

ひさーしぶりの舞台、色々あったけど祝福された空間だったなと思う。
改めて、あの場に居ることが出来て良かった。