おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

葬送のフリーレンにハマってる

タイトル通りです。ハマってる。アニメから見始めて漫画も全巻揃えた。
まず、めちゃくちゃ良いグリーフケアを行っているのでは…という所で
「ほう…?」
ってなった。私は細く長くオタクをやって来た割にRPGには疎くて、ファイナルファンタジードラクエもやったことない。
主人公フリーレンの属性である「エルフ」という単語も概念もふわっとしか知らなかったし、正直エロ漫画に属性というか下手すりゃ見た目だけ転用されてるイメージしか無かった。
何ならそれを全く関係ないネットページを開いてるのに広告でしつこく出してこられる…みたいなイメージしか無かった。

エルフはこの作品の中では人類にカウントされるが、人間では無い種族で、主人公フリーレンは1000年以上生きていて少女のような容姿をしている。作中のエルフ同士の会話で
「私たちの時間は永遠に近い」
というような趣旨のやり取りもある。

そして、フリーレンは勇者一行のパーティに加わり魔王を打ち倒し凱旋帰還する所から物語が始まる。
今まで魔王を討伐するまでを描いた作品は沢山あると思うのだけど、その後を、特に勇者の死後を描いた作品というのはとても珍しいのでは無いかと思う。私は初めて見た。

フリーレンは勇者ヒンメルが亡くなった時に、自分がいかに人間や仲間、ヒンメルのことを知らないか、知ろうとしなかったかということを悔いて涙する。
10年という恐らくエルフにとってとても短い期間(フリーレンにとっては自身の人生の1/100程度の期間)に大事な存在になっていたであろうヒンメル達のとった行動や発言は覚えているけれど、どんな人物だということ(例えば好きな食べ物とか趣味とかも含めて)までは分からないでいるんだろうな……。
それでも自分にとって大切な存在になっていて、喪う悲しみというのもあるのだけれど、その感情がどういうものか把握しきれてない混乱もあるのだろうな…。という描写の後に、
「人間のことを知ろう」
と思うに至り旅に出る。勇者パーティで一緒に戦った仲間の養子や弟子が新パーティとして仲間になり、新しい旅に出る。

細かいことは間違ってるかも知れないし私の思い込みの部分も多くあると思うけど、私の解釈としてはこんな感じの冒頭。

エルフという長寿種であるフリーレンにとって、人間との死別は避けて通ることが出来ない。
そしてエルフは恋愛や生殖といった感覚、感情がほぼ無い為総数が少なく、緩やかに絶滅に近付いている。フリーレン自身何百年も同族と会っていないと言っている。

この為、フリーレンの抱える
「親しくなった人間、大切な人間(人類にエルフもドワーフもカウントされる為、敢えて人間と書きます)との死別による悲しみや痛みは、同じ痛みを抱えるエルフと共有されていない。似た様な死別を経験した人間ともそもそもの総数や年数が違い過ぎる為、結局エルフへのグリーフケアのリソースが無くセルフケアに頼らざるを得ない」
という状況になってしまう。

勇者ヒンメル以前にも、魔法の師であるフランメとの死別も描かれてあるし、他にも数え切れない人間たちとの死別を経験して来ているのだと想像される。
フリーレン自身もまた、自身の暮らしたエルフの村を魔族に襲われ1人生き残った孤児でもある。

にも関わらず、勇者ヒンメルとの死別で涙を流し、人を知ろうとしなかった後悔を口にする。
それ程までに(フリーレンにとっては自分の人生の1/100という極めて短い期間で)大切な存在になっていたことに無自覚でもあったのだろうし、長寿種として人間との死別に毎回毎回傷付いていたら生きていけないと摩耗させていたところもあるのだと思う。

そのため、勇者ヒンメルとの死別によるグリーフのケアのためのワークが、フリーレンのセルフケアとして必要になり、行われる様になった話の様に感じている。

閑話休題
繰り返すが私はRPGに本当に疎いので、他作品でエルフがどういう扱いなのかは分からないのだけれど、この作品では広く人類ということで括られている。
私はそこに平和を感じている。

もちろん魔物や魔族がガンガン殺しにかかってくるし、戦闘の日々もあるのだけれど、人間がエルフやドワーフといった長寿種を「自分たち側」として扱っていることに平和を感じる。
それはもちろん、対話不可で襲ってくる魔物や魔族といった脅威があるからというところもあるのだろうしフィクションだからというところもあると思う。

けれどももしも、今エルフが実在したら人類としてカウントされないだろうし、下手したら迫害されるだろうなと思う。歴史の生き証人を
「耄碌している」
として侮ることが出来ないのは人間の為政者には都合が悪いだろうと思うし。
何ならあの世界線でも魔物や魔族といった「自分たちでは無い側」の脅威が排除されれば、エルフやドワーフといった長寿種は迫害の対象になり得るのでは無いかと思う。
それくらいには為政者に好き放題されてる感が私に染み付いている。

【話を戻そう、よいしょ〜っ!】
人間である私にもグリーフケアを必要とする事は当然あるし、悲嘆によって起こる反応は私にも起こる。
私は恵まれたことにその事に対して知識が少しだけあった為に対処出来た。対処出来なかった事、し切れなかった事に対しても
「こんだけ辛いんだ、そりゃあこうもなるだろう」
という受け入れが出来た。そんなん全然受け入れられないぞ!となっている事実を冷静に受け入れられた。

エルフであり、孤児でもあり、故郷も喪ってひとりぼっちだったフリーレン(この時何歳だったんだろうね)に、フランメという魔法の師匠が出来る。
フランメは晩年、フリーレンに戦いの為の、復讐の為の魔法しか教えてこなかったと零す。そこに後悔は無いけれども、自分の一番好きな魔法は
「花畑を出す魔法」
だと告げ、自身の墓の周りは花畑にして欲しいとその魔法を教え亡くなる。

この当時のフリーレンにとって、戦いの魔法を身に付けていくことは一種のグリーフケアのワークになっていたのかも知れない。自分の家族や故郷を奪った魔族を打ち倒すというところでケアされる感情もあったのかも知れない。

だけれども人間である師匠フランメを亡くして、どれほどの期間をどう過ごしたかはあまり詳しい描写が無いけれど、また人間であるヒンメルたち(ドワーフも居る)との旅を選んだ。
それは人間の寿命は短いと散々分かっている上での割り切った行動だったのだと思う。
それこそ生活の道すがら割と見かけるある程度コミュニケーションの取れる別の動物、くらいの感覚だったかも知れない。
それでも、最初に述べた通り、自分にとっては相手がどんな人物・存在であるか知る事が出来ないほど短い期間だけ関わった相手を喪うことに、大きな痛みや悲しみを伴って驚いただろうし混乱したことと思う。
傷付き切れない部分もあったかも知れないし、「悲しい」とか「辛い」とかいう言葉になっていないところから、どんな感情を自分が抱いているか分からない、という感じにもなったのかな…と思った。

だからこそ、分からないから知ろう、と旅に出るフリーレンを勇敢だと思うし、聡明だと思う。
弔うという感覚がどれ程あるのか分からないし、遺品を紛失しても
「無くし物には慣れているし」
「貰ったものはこれだけじゃないし」
と言っている描写もある。フリーレンの寿命の方が遺品よりも長いだろうことも当然見込まれていると思うし、遺品よりもそれに付随する想い出を大切にしていこうと思っているのだろうか…と思わせる描写もある。とはいえ物も大事。手元に戻ってきてよかった。

人間との時間はとても短い事が刷り込まれているフリーレンにとって、あの痛みがなんだったのかや、同じ時間を共有した仲間の存在が自分にとってどういった関係だったのか、という事も含めて知りに行く旅なのだと思う。

いずれヒンメルの死を悼む事や、フリーレンが死亡しない限り必ず訪れる弟子との死別を悼む事も、それを受け入れたり受け入れられなかったり、グリーフによる反応が強く出たりする事もあるんだろうな…と勝手に想像して
「うぅ……」
となってるし、それでもヒンメルは未来でフリーレンが1人にならないように、至る所に銅像を作っている。
時間と共に記憶は薄れていくものなんだろうけど、あちこちに銅像があって、ここでどんな風に過ごしたか思い出せるものが遺されているのはすごくいいな…。

いや、私の推しキャラが死ぬことだってあるだろうし……。みんな好きだよ…超可愛い……。

その旅路を、私も共にしているような、私のグリーフにも手を差し伸べてくれているような、そんな気がする作品。

私の中で大ヒットしている。引き続き応援しているし、楽しみにしている。