おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

知識について

私はあまり学校に通わなかったから、同学年と比べて随分無知だと思う。

熱した油に水を入れると爆発すると知らず、普通に爆発させたり、日本地図がかけなかったり、因数分解が出来なかったり、スイへーリーベの足し算?が全く理解出来なかったり、英語はオーストラリアまで行ったのに全然分からなかったり、する。

他にも全然出来ないけど何が出来ないのかもよく分からない位、何も知らない。正真正銘の無知。履歴書に書けることが何ひとつ無い。

 

だけど最近、私の事を知っていて、私を豊かだと言ってくれる人が少数だけど居て、その人達のなかの数人は

「知識はただの知識だし、勉強なんていつでも出来るし、知らなくても死なない」

と、慰めてくれたりする。

でもその知識が欲しかったんだよって、理解出来る力と環境が喉から手が出る程欲しいんだよって思ったりもする。

私って本当になんにも無いなぁって呆然とする。

「そんなん(知識)知ってたからって何?って感じやし別に○○ちゃん(私)はそんなの知らなくても充分賢いよ」

と言ってもらった事もある。

だけど、持ってないからさ、私。なんにも無いからさ。頭悪いし要領悪いし。生きていくのになんの装備も無く出て戦える人間じゃ無いんだ。勉強や知識も装備したいんだ。だって私は常に無手で世界と対峙してるんだもの。世界は常に武装していて、私の事なんか簡単に切り刻めるんだもの。

 

私と同じような立場の人がかつて

「私にはなんにも無い」

って言ってた事がある。何人かいる。やっぱり当時あまり学校に行けていなくて、日本地図は北が上に書いてある事を知らなかったり定期券の買い方を知らなかったり牛乳にレモン汁を入れるとモロモロする事を知らなかったり伊勢神宮には海老が祀られてるんだと言ったりした彼女らは、だけど私なんかよりよっぽど美しくてしなやかで硬質で才能に溢れていて穏やかで暖かで丁寧な陽の光に照らされている。様な、人。

きっとなんにも、のなんにもには、彼女らや私の才能や美しさは含まれないんだろうなって、思った。私に美しさや才能なんて立派なものがついてんだかどうなんだか、そんなの分かんないんだけど。

だけど、彼女らは色んなものを持っていて、もしも世界からそれを認められなくても彼女らは私の憧れで、彼女らを認められない世界があるのならばそれは世界が悪いんだと信じていられる。そしてきっと、今に彼女らは沢山の人から愛される人間になるし、なんならもう既に沢山の人から愛されている。

そういう人が、友達になってくれて、私はそんなに連絡をする人では無いけど生きていて幸せだったらいいなぁと祈る事が出来て、幸せだなと思う。それで充分じゃないかと思ったりもしなくもない。

 

だけど私はそれでも世界と対峙できるだけの知識が欲しい。