おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

1年間を考えてみる

あけましておめでとうございます。

全然おめでたくないよって人はこんばんは。

このブログを始めたのが昨年の1月2日なので、取り敢えず色々振り返ってみようかなと思ってます。

えっと、去年(2018年の末から2019年)の年末年始って確か本当に自分の持ってる呪いとかしんどさに耐えかねてたな。児童デイのバイトはひどいセクハラ、パワハラで心身の調子を壊して辞めてしまった(仕事そのものも、関わる児童も好きだったのでマジでセ・パ両リーグ戦を開幕してた上司と先輩はクソ)し、シンプルに身体の不調でほぼ毎日食事の度に吐いてたし、吐いてない時間も吐き気と戦っていて、正月や成人式を目前に控えたストレスもひどかった。

毎日毎分毎秒吐きそうで苦しかったから将来への夢とか希望とかそんな話が砂糖菓子にしか思えなくて、

「うるせえこっちはずっと吐いてんだよ!何が将来の夢だ!吐き気が無くなる事が将来の夢だわ!それに向けてどう努力しろって言うんだ!こっちは吐いてんだぞ!吐きながら努力なんて出来るか馬鹿野郎!」

みたいな気持ち、だった。

体調が悪過ぎるとはいえ頑張れてない(本当は吐き気と戦ってるだけでめちゃくちゃ頑張ってるんだけど、当時は休んでる事と頑張ってない事がイコールだった)自分を許せずにいたのに、毎日吐いてない健康な人から夢だとか希望だとかそれに向かって頑張る的な事をキラキラ言われると、自分の人格とか生きてきた事全てを踏みにじってミンチにされてるみたいな感覚になっていた。

だけどきっと、世間から好かれるのは私をミンチにする人々だと思うと呪わずに居られなかった。

だけどそれで腹を立てると身体がこわばって余計に吐き気が襲ってくるから、この殺意や呪いを身体に負担をかけずに吐き出せる場所を探してブログになった。

元々ストレスから来る長文は公開範囲を3~8人程度に限定してFacebookに書いていたけど長文を書いていいSNSであるFacebookも、あまりに度が過ぎた長文は読めないし各種呪いを何度も何度も年末年始に見せられる「お友達」もたまったもんじゃないだろうと思ってブログを開設した。

1年で思ったより沢山の人々が読んで下さって怖い話だなぁとは思いつつ、でも色んな気付きとか思考の整理が出来て良かったなぁと思っている。1年で随分自分の事も許せるようになったり、反省だなと思ったり。

去年は本当に変化の1年で、クソを通報に踏み切ったり進学したいみたいな気持ちになったり年金がおりたり高認受かったり怒るべき事にきちんと腹を立てて呪いではなく言葉で怒る事が出来たりした。年齢的な焦りとかでは無く自然に心が動いたのは良い事だと思う。

あとサイゼは真イカのパプリカソースが無くなったし、親は病気した。だけどれいわ新撰組から重度身体障害者の国会議員が2名誕生した。私の頭をガッツリ耕してくれる本とも出会った。それと生存を祈っていた後輩達が今も生きていて一緒にお芝居を作っている。

あと私の大好きな大人の皆さんも生きていて、私が好きな本を好きだと言ってくれて、あぁ私も30歳まで生存出来る気がするなってなんとなく思えたりする。

私の大好きな大人の皆さんは、苦しんだり弱ったりするけど、その上で生きていてくれてるから大好き。なんかそれは死んでしまったら嫌いなのかって感じだけど、多分そんな事は無くて、縁起でもないけどもし誰か居なくなってしまっても、多分たくさんたくさんお礼を言うし、ほんまにすごかったですって言うし、生きてくれている今は単純にありがてえありがてえ…って感じだし、すげえ…って感じだ。なんて言うか、生きてるだけで希望。憧れ。

例えばオリンピック選手とか、芸能人とか、すごい学者さんとか、歴史上の人物とか、何かしら人間離れした人はすごいけど、今ひとつピンと来ない。すごいと思うけど、本当の意味での尊敬なんて多分全然出来ていない。

けど、私の大好きな大人の皆さんに対しては私はめちゃくちゃ尊んで敬ってると思うしほんまに大好き。他にこんな人居ねえよって思うし、他に居ないその方々は私にとって絶対に必要で、その方々が私を認識して下さってるのがほんまにどうしていいか分からないけどめちゃくちゃ嬉しい。恐縮ってこういう事なんやなって思うし、好き。

世の中と自分の違いや差が明確になってきた19~21歳は呪いに足を取られてもがいてしんどかったし、今年も多分たくさん呪うけど、同じくらい多分たくさん祈ってるし、自分や自分を大事にしてくれる人を応援したり、許したり、きちんと怒ったり出来るんじゃ無いかしらとも思ったりする。

呪う事に耽溺しちゃう時にはこの1年ずっと呪ってたってやっぱり思うだろうけど。

希望とか夢とかやっぱりまだまだ砂糖菓子だけど、取り敢えず生きてる事を辞めずにいよう。

何かはきっとある。何があってもとかは言えない。絶対何かは起こるけれど、取り敢えず生き延びよう。その後のことはその時に、後で決めよう。