おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

変化について

変化が苦手だ。

正確には私の身体のタイミングに沿わない外圧的な変化が苦手だ。

季節の変わり目、気圧の変化、新学期、新年度、新元号、誕生日、それらに伴う環境の変化、職場の変化、等々…。

今年は元号が変わるからそれにあたって変化や成長を求められたりもする。平成最後の○○!みたいなノリもキツかった。なんというか

「そんなに新元号が偉いのか!私の心身の安定の方が大事だ!誰に許可取って新元号元号と騒いでるんだ馬鹿!」

みたいな気持ちにもなった。お祭り騒ぎが嫌いで、出来るならば苔とかキノコとかダンゴムシとかそんな感じで生きていたい。それなりの楽しみ方で楽しんでるから。

 

なので新元号にあたっての目標的な、抱負的な、そういうやつは無い。私の人生的な意味での当面の目標は生きてアラサーになること。

多分私は努力とか勉強とかを強いられる事が本当に合わない人間なんだと思う。目標を持たされてそれに向かって頑張らなければならないのが身体に合わないんだと思う。面倒な事に私の性格がそれを許してくれないんだけれど。

だけど私は私のまま私の納得と私のタイミングでゆらゆらと変化も成長も努力も勉強だってしているし、不自然に意図的に圧をかけて変化を私の身体に強いる事は私にとっては割と結構な負担なんだなと最近やっと気付いた。それを認めていいと最近やっと思えた。

 

私は人間を脱ぐ瞬間が無いと死ぬ。ゆる〜〜く、根が生えた様な時間が無いと潤いが無くなってパスパスになって死ぬ。自分を脱いで、人間を脱いで、それでいいやっていう時間が私には必要で。

あ、常に人間辞めてたいみたいな訳じゃ無いんだけれど(いやそういう時もあるけど)。仕事辞めたい訳じゃ無いけど家に帰ったらストッキング脱ぎたいみたいな、時々ストッキングやパンプスを脱がないと色々キツいみたいなそんな感覚。

そんな中でも亀とかみたいに意外と早く泳げる瞬間だってあるし、それでいいんだと思う。

輝いてる人生みたいな風に見えないかも知れないけど、私は私の人生は割かし美しいものだと思うしそれを信じてあげたい。シャイニーで華美で派手な人生じゃないし、日本庭園みたいな格式高い人生でも無いけどさ。