おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

母の日とIKEAの呪い

我が家は元々母が家族行事を大切にする方だったのと、父がサプライズとかが好きっぽい(割と激しめの気まぐれとも言う)のとでなんやかんや諦めず家族行事をやってきた。

そしてことごとく地獄を見た。マジで毎回誰か泣くし場合によっては血を見る事になった。

それはそれは毎度凄惨な思い出が出来上がるものだから、いつしか家族行事は段々行われなくなり、だけど良い家族でいたい信仰の強い私と母は家族行事を上手く運べない事に苦しみが深かった。

良い家族をやりたい願望も、良い家族への複雑な思いもまだまだ根強くあるし、IKEAに行くと火を放ちたくなるし、住宅展示場や保険のCMに苛立つし、親に感謝系の事を言ってる奴は全員ヤンキーだと思っている。普通に親に迷惑かけんな直接言えクソッタレとか思う。私は親の機嫌を伺い育ってきたから。

 

先日は母の日だった。

私は何もしなかった。例年通り母の日プレッシャーはビシバシ感じていたけれど、スルーする事に耐性がついてきた様に感じる。

割と近い数年前までは母の日や家族の誕生日や両親の結婚記念日にはケーキを買い、プレゼントを買い、部屋を片付け飾り立て、お手紙を書いたものだった。いやぁ〜健気。

それでも毎回毎回凄惨な思い出になっていった。すごない?逆にすごない?むしろどうやってあの健気の塊を血塗られた記憶にしていく訳??血塗るな。

いや、あの当時は今度こそ上手くやろうみたいな意気込みもあったよね。うんうんあったあった。私真面目だから期待されると頑張っちゃうよね。うんうん。けれどもうそんな元気もないし。若くない。

郊外の庭付き一軒家に住み、IKEAで家具を買い、休日にはお庭でBBQをし、家にはアップライトピアノがあり、子供は公文とピアノを習い、テーブルにはクロスがかかっている。そんな金銀の家族が私は今でも時々とてつもなく呪わしく思う時が割と頻繁にある。そういった家族に往々にして起こる想像力の貧困さが私にとってとてつもなく罪で毒になる事だって度々ある。

 

だけど私はもうそういう思いに囚われて自分の人生を奪われる事はやめようとしている最中なので、呪うのを私が納得した形でやめている。やめようとしている。

未だに多かれ少なかれ心のどこかで「私の知らないところで不幸であれ」とは思う気持ちはまだあるのだろうけれど、嫌悪感やコンプレックスや嫉妬で何もかも見えなくなるけど、でも何もかも見ないのは勿体ない世界がある事も知っている。

見たくない事も知りたくない事も感じたくない事も本当に本当に多過ぎる位に多いのだけど。

家族行事を上手くやれなくても、家族を上手く愛せなくても、家族を嫌いでも、この世界で生きてて良いし黙らなくても良い。同時にそれを叫ばなくても良い。

穏やかに丁寧に自分の生活をやり過ごして、適当に人を嫌ったり好いたりしながらいつか良い感じで家族をより良く運営出来そうな人と共同経営したい。

その時には、呪いを忘れる事は無理でも、どうでも良くなっていて欲しい。住宅展示場や保険のCMで傷付いたり苛立ったり、結婚式の花嫁の手紙で泣くみたいなアレに無駄に大きな溜息をついたりしなくなっていて欲しい。

 

上手く家族をやれなくてごめんなさい。

今年も母の日を無視したけれど、母を無視してる訳では無いですよ。みんなみたいに上手く感謝とか出来ないけど、私、育ってますよ。