おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

私は秋が好きなのに、秋は私を好きじゃない

1年が過ぎるのが年々早くなってない??
25年生きてみて、四半世紀のあいだ人間というものをやらせて頂いて、毎年この時期は
「あれ?エアコン要らなくね?てか今何月?」
みたいな混乱が私を襲う。

毎年さ〜年末に1年間を振り返って
「いや〜今年は怒涛だった。来年こそは穏やかな1年に…」
っつってんのよ。実現出来た試しがねぇや。
穏やかな1年って、むしろやってみたらやってみたで
「穏やかなのなんかソワソワする!」
ってなるんだろうなってくらい、毎年何かしらで怒涛だし、アスリートかな?ってくらい毎日何かしらあるか、
「ベッドから出られません電気も付けられませんカーテンも開けられませんゾンビですどうも」
みたいな状態かなんだよな。

1年の単位で見たらそりゃあ何かしら大きなイベントがあるもんなのかも知れないけれど、こちとら1日の単位で見てもメンタルの波が日経平均株価並にガッタンガッタンしてるからね。

今年はまだ入院してないので、ここからメンタル下がる季節に入りますが、なんとか軟着陸でいられますように…っていうのと大学ちゃんと通えますように…っていうのとあるよね。ある。

前期はもう全神経に鞭打って鬼頑張ったし、夏休みは友だちと生存旅行に行った以外何の記憶も残ってないし、後期始まって日々「入院…?まだセーフ…?」みたいな感じでやっとこすっとこって感じやし。

神経すり減らしイベントの多いここ数年。
それまでの神経の作りが雑過ぎたのかも知れない、色々抑圧したり麻痺させてたりしてたし。
自分の感情と向かい合って、
「君はどこから来たのだね。これからどうなって欲しいのだね」
みたいな、しんどいけど自分の感情を尊重するというか正当に扱うというか、そういう事して来なかったな〜。そりゃあ色んな人を傷付けたろうな。
って感じで。健康に向かって行きたい気持ちはちゃんとあるのは成長ですね。天才です。

自分の傷付きを抑圧すると、他人を抑圧したり呪ったりするからね。でも傷付いた事に気付くの難しいし苦手だしね…。すぐキレ散らかしたり無関心になったりする。
「怒りは二次感情…怒りは二次感情…」
って呟きながら、怒りの下にある傷付きや悲しみを見つけてあげる訓練を日々行っている。

つい先日、大学で授業を受けていて、あまりに自己責任論の強いクラスメイト達に
「けーーーっお幸せにお育ちになったのねぇ〜」
みたいな感情がグルグルして授業中に頓服飲んで、家帰れる体調じゃない…ってなって大学の休憩室で休む
みたいな鬼しんどイベントが発生したけれど、帰宅してから
「怒り散らしてる時って愚痴疲れが出るな。愚痴ってスッキリしないなら、グルグルする感情はあるけど愚痴を言うのをどこかでストップかけた方が体には負担が少ないな」
とか
「別に幸せに育つこと自体は悪いことじゃないよな」
とかみたいに、自分を冷静にコントロールする自分が生まれ始めた事や、それはそれ、これはこれ。がまぁ多少は出来るようになってきた。大人になりましたので。
というか、幸せに育ってきた故に経験して来てない苦労に対する想像力はある程度知識で補える。
もちろん経験に勝るものは無いと思うけど、これから勉強していく上で知識を得て色んな経験をして想像して、大人になっていくクラスメイト達を応援したい。
とはいえ想像力無い表面的な発言に対しては私のインナーチャイルド(恐らくハイティーンの頃かな)は爆ギレ爆泣きで今の私は対応に追われてるし、ハイティーンの頃の私にどんな言葉をかけてやれるのか、私は言葉を持っていないなって思って悲しくて悔しくてって部分も多大にある。謝ってもあの頃の私は絶対許してくれないだろうし、許して欲しいとも思ってないんだわ。ただ、少しでもあの頃の自分が癒されてくれたら今の私としても有難いのだが……という感じで。


この1年の残り2ヶ月がどんだけ穏やかだったとしても今年も今年とて怒涛だった事に変わりは無いのだけれど、年々健康的に自分を操れているし、持て余しがちだった自意識みたいなものが年々無くなっていってるのも健康に良い感じがする。

なんというか、上手く言えないけれど、
「自分と相手の間に境界線が2本あるんだぞ!」
って意識しながら残り2ヶ月と言わず今後を送っていきたい。

「安全な今ここ」への戻って来る方法覚え書き

私は影響を受けやすい。
SNSを代表とするネットや、私の趣味の1つである読書や観劇や映画鑑賞、私と関わる人々や、関わりの無い人達からも影響を受ける。
それは良い影響ももちろんあるけれど、沈んだり、フィクションの世界に逃亡してなかなか帰って来れなくなることもある。それで寝食を忘れてのめり込んだり、うつが悪化したり、衝動的に散財したり、逃亡先が無くなった時に新たな依存先を求めたりなど、生活に悪影響を及ぼすこともある。

また、私は体質的にも生育歴的にもフラッシュバックを起こしやすい。起こってしまえば、今ここの自分であればもう済んだことだ、乗り越えたのだと感じられる事でも
「死んだ方がマシだ」
と感じていたあの頃に引っ張り戻される。

どちらも私を安定させる上では非常に厄介なものなので、適度なところで
「安全な今ここ」
に戻ってくる必要がある。
どっぷり行ってしまってる時は戻って来る方法を忘れたり、戻って来れることそのものを忘れたり、そもそも「安全な今ここ」なんてものは無いと思ってしまったりする。
縋る縁の無い不安と対峙するのは怖いけれど、とにかく今この瞬間は安全であるということを体が分からなければならない。

ということで、
「あ、結構本来の自分の状態から離れてる」
と感じた時にやることリスト〜ドンドンパフパフ〜

・体のタッピング
体のあちこちを軽く叩く。「今ここ」に体が居る事を思い出させる。
ただし自傷行為に繋がりそうなら即刻やめる。

・時間を確認する
何時頃から、または何日、何週間、何ヶ月前からこの状態か把握する。おおよそで良い。フラッシュバックや他人の世界にどれだけ居たのか把握する。長期間の場合の始まりは覚えていない事が多いので、少なくとも今日何時頃からその状態が始まったか確認する。
食事、服薬などのスキップが無いか、煙草の減り方等の確認をする。

・記憶をつなぐ
本来の状態からどういう経緯で離れていったかを思い出す。
この時、離れていった事を批判的に捉えない。

・五感、特に嗅覚と触覚に集中する。
電気はしんどければ消しておく。音もしんどければイヤーマフ等で調整して良い。
ご飯を炊いている匂い、お茶の匂い、靴下の中の足の感触、枕に触っている頭の感触、どこの筋肉に力が入っているか・あるいは入らないか、痛みは無いか等々…

・抜けたては戻りやすいので、出来るだけ何も考えずに力を抜いておく。寝ても良い。

今思いつくのはこの辺り。
あと、自分の体から逃亡する必要がある時にはしたらいいと思う。ただし、生活及び心身を壊さない範囲で留められるようにした方が良いので、心がける。
楽しい逃亡の時ほど帰って来にくくなるので、生活中心に考えることを心がける。

FACTORY GIRLS 観劇

ひっさしぶりの、大劇場ミュージカル生観劇。
大学入ってからは大劇場ミュージカルは配信しか観れてなかった気がする。小劇場ミュージカルはちょこちょこ観てたけど…。

やっぱり大劇場ミュージカルってわくわくするね。おっきい劇場にお洒落して行って劇場のドリンク売り場や近くのカフェでクリームソーダ
大劇場ミュージカルってなんかそういう思い出とワンセットになっている。

そしてFACTORY GIRLS めちゃくちゃ良かった。浴びたわ〜。ミュージカル浴びるって感覚分かってもらえるかしら。光や音楽や声の振動や感情の昂りや客席の興奮を浴びるの。泣いてる事を忘れてダダ泣きする。泣くシーンでも何でもないんだけど、迫力や興奮がこっちの涙腺をタコ殴りにしてくる。
興奮し過ぎてパンフ買っちゃったよ。

さて、FACTORY GIRLS。
初演めちゃくちゃ観たかったけれど行けなくて、狂ったようにPVを観ていた私。再演されるとなって嬉しくて嬉しくて。

大劇場ミュージカル(特に古典)に出てくる歌の上手い(つまり主役クラスの)男性はだいたいクズみたいな法則があるけれど、今回の作品にはそもそも主役クラスに男性がいない。
大抵のミュージカルは男女ペアで主役になることが多い。で、だいたい恋愛に発展するしそれが拗れる。当て馬女性の嘆きソングは死ぬ程ある。逆もある。
大劇場古典ミュージカルで女性は大抵酷い目に遭うし、連帯するどころか敵対し合うか孤立するかその両方かって感じだし。女性にとって死は度々救済として描かれてきた。
しかも女性達だけのシーンっつったら出て来るハンサムガイがいかに素敵か女子だけでキャピキャピ語るソングのシーンとか、家事の合間に噂話するソングのシーンか、娼婦たちが妖しくヘルシーに歌い踊るシーンとか、そんくらいじゃないかしら。

そんなミュージカル界の法則ぶん殴ってくれてありがとう。モブ女性までかっこいいとか無かったよね。「かっこいい女性」が登場するミュージカルは沢山あるけれど、この作品は出て来る女性達はみんなかっこいい。「機械のように」でめちゃくちゃ興奮して気付いたら泣いてた。
振りも初演と変わってたけど、なんて言うか歌詞の中にある「考える事は諦めて」「機械のように」働くということが身体に刷り込まれていく様なダンス。気付けば何も考えられなくなっていくみたいな。目の前の仕事しか見えなくなっていくみたいなダンス。自分の体が工場の1部になっていくような。歌声もパワフルなんだけど溢れそうな何かを抑圧していて苦しくなるような感覚を持った。
ただめちゃくちゃかっこよかった。憧れたり混ざりたくは無いし、労働環境改善しろやとは思うのだけど、あのかっこよさ力強さは素敵だった。
社会の歯車ソングと勝手に呼んでるけど、歯車かっこいいじゃんよ。ちゃんと人間扱いしようね。

アメリカの女工哀史って感じの時期の話だと思うのだけど、やっぱりみんな貧しくて搾取されてて、そこから逃げ出したくてとか家族に仕送りしなくちゃとか子ども養わなくちゃとかで働いてる。
他では雇って貰えない。だから雇用が主従の関係になるし使い潰されて捨てられる。

家族からのDVや虐待から逃れていたり、孤児院でしこたま虐められてたり、家族に手術が必要な人がいて働いてたりで、自力で稼げる事に夢を持って働きに来た人達がやはり再搾取されることに対して割と早い段階からラディカルに反発していくサラと、リベラルに変化を及ぼそうとするハリエットの友情が素敵。

最初はサラもハリエットのリベラルなやり方を、
「そんな発想はなかった〜ハリエット賢いわ〜」
みたいな感じで尊敬しているしハリエットも
「サラは素直で魅力的な文章を書く人」
みたいな感じで敬意と共感を持って、いつか何かを変えて行くことを努力しましょうと約束し合う。

の!に!労働環境が更に悪化して、ただでさえ死人が出てるんだぞって状況でこれ以上やれとか殺す気か!と憤るサラの真っ当さたるや。
これは工場に入って日が浅いから言える洗脳されてない人の意見って感じもあったけど、サラは女工たちの中ではだいぶ年長だから
「年下の子たちを守りたい」
みたいな所もあるんだろうな。てか年下の先輩達とめちゃくちゃ仲良くなってるの、サラほんまに良い奴なんやろな。
アビゲイルがサラと共に声を上げて暴れるシーン、結局男性工員の暴力によって制圧されて工場長が、女性達が制圧されてから
「暴力反対」とか言い出すの、笑ってしまった。笑い事じゃないんだけど。

ハリエットは元々工場で女工として働いていたけれど、オーファリングの専任編集長に就任してて文章や講演で世の中の意識を変えていこうとしていた。多分これも工場長とかの
「女性を大切にしてますよ」アピールの一環ではあるんだろうけど、ハリエットは聡明で我慢強く
「女性達も言葉を持っている」
という事を訴えていく。

で、ハリエットが、議員の甥っ子のぼんぼんハンサムガイことベンジャミン(以下、ベン)にいきなりキスされたり求婚されたりするシーンがあって。
古典ミュージカルでは合意のない(意識が無い含む)突然のキスや求婚は、トキメキ要素をもって語られる事が多かったけど今作でははっきりと困惑や拒否感を持って描かれていたので、観客席にいるこちらもベンに対して
「ケーーーーーーッ ペッ 」とか「うわーあかんのにー」
みたいな感情を抑圧せずにいられる。ありがたい。
それを全く理解出来てないベンの
「??だって僕は君が好きだから✨✨」
「君の事はなんでも分かるよだって君の書いた文章は全て読んだからね(出会ってほぼ初日)✨✨」
みたいな描写もほんまにね……はは……ってなったよ。
あの、今までは合意のないキスや求婚に対して
「なんでこんなことするんですか」
っていう問いがなされずに、ロマンスとして描かれて来てたから…そりゃ必然的にその問いに対する答えが無い(無かった)ってのは分かるんだけど、その答えが
「君の事を好きだからっ✨✨」
みたいな感じで出されると、
「ばっかじゃねーの!!!!(劇場で馬鹿を露呈させる勇気)最高!!!!(行動)最低!!!!」
みたいな混乱した感情になってしまうよね。
あぁそうか…好きだから✨で人が話してるのを遮ってキスをする事を許してきていたのか…私…。

話が逸れた。

リベラルに世の中を変えていこうとするハリエットは、女工たちからは「私達の味方じゃないのか」みたいな視線を向けられるし、ベンの叔父議員とか工場長からは「工場側に立って女性達を抑圧なんてしていません的な記事を出し、そう女工たちにも振る舞わせなさい」的なパワハラをガンガンされるし、ベンは一生その苦しみや板挟みの立場を多分理解出来ていないし、自分の家庭にもトラウマあるしで話が進むにつれて孤立し、病んでいく。

ハリエットの「確実に世の中は変わって来てるしもうすぐ女性の色んな権利が認められる様になるから賢く上手く振舞っていこう」
みたいな考え方で、男性からは搾取されて、女工たちからは「味方じゃない」みたいな扱いを受けるのは、まぁ確かにラディカルなやり方だけでは通用しない部分もあるからハリエットみたいなやり方をする人も必要なんやけどそれを1人でやるのはしんどすぎるよ……ってなった。理解者や共感者が居ない中で工場の中みたいな肉体労働では無いけれどガンガン使い潰されるのはしんどすぎるよ。
「それは決してひとりぼっちの旅路じゃない」
って割と序盤にみんなで歌ってたのにね……。

なんとなくやけど、前に亡くならはったFacebookの女性の社長?CEO?そんな感じやなかった……?みたいな、うわぁー地獄!感。

この、「わきまえる女性」と「わきまえない女性」が同じ所を目指しているのに袂を分かたなければならないあるあるが苦しい。

で、このサラとハリエットの対立構造を煽ってるのが結局ハイクラス男性で、はぁ見覚え。って感じ。ちょっとここで疑問なんやけど、ハイクラス男性達って連帯してるの?連帯して抑圧してる描写と、ハイクラス男性同士のマウント構造の描写とあって、仲間意識的なものは無いの?損得オンリー?みたいな。

移民男性達の労働新聞にサラがペンネームで寄稿を始めるシーンも
「女に何書かせんだよ出てけよ」
みたいな台詞があったり、でも移民男性はアメリカ人女性より更に賃金や待遇が悪かったりでやはり戦ってる中に、自分より良い待遇を得ている女性を入れる余裕なんて無かろう…みたいに思ったりもしたり。

ボンボンハンサムガイことベンとの結婚について、ベンの叔父議員はハリエットの家庭環境を引き合いに出して色々脅してくるし、本当にあの叔父議員は優しげな顔して声して話し方して、こう、紳士ですよ〜みたいなの醸し出しながらやってる事ヤクザで本当に嫌い。
実質言わせたやんって言葉を、自発的に言いましたよ脅してませんよ〜みたいなノリ。分かってもらえるかしら。
で、正解してたら機嫌良くなるし外したら脅してくるし、なんや家族にこういう振る舞いする親よくお見かけするなって感じだった。

話が逸れた。

そう、で、サラ達女工とハリエットがすれ違って対立していくところを見るのは辛かった。
ただ、シーンとして、サラ達が複数名で歌って踊っている中を何とか説得しようとハリエットがその中をもがいていくの、シンプルにハリエット1人なのにしっかり両方の声や感情の動きが見て聞けて取れるのはハリエット役のソニンさんのパワーが桁外れっていうのあるなって思った。
コーラスも負けてないというか普通にどすこいっ!って感じなんだけどもハリエットの声もちゃんと分かるのすごいね。劇場も良いのかも知れない。音響悪くて聞き取れない劇場あるもんね。

また話が逸れた。

あとやっぱり、ちょっと気になるな…って思ったのが、女工たちの会話の中で、女工の1人が父親からの性暴力をアウティングされる所。
結局アウティングした子も似たような境遇だったから見抜いていたみたいな描写だったしそのシーンのおかげでアウティングされたいつもいつも顔色悪くて自信なさげな子が
「慰めたりしなくていいから、私を見ていて」
と言えるようになる、という所はあるんだけど、でもそういうのアウティングすんのは……という気持ちにはやっぱりどうしてもなるのよね。

あと、
「惨めすぎる 可愛い少女が 使い潰さて 死ぬなんて」
という繰り返し出てくる歌詞があるんだけど、いや可愛い少女じゃなくても(けったクソ悪いじいさんでも)使い潰されて死んではいかんだろうがって気持ちと、今は女性の労働環境及び社会的地位の話をしているのだからこの歌詞で良いという気持ちとで揺れてしまう。
これは私がどの立場に身を置くかで完全に見方が変わってしまうなとは思う。
でもあえて「可愛い」少女と言わなくても良くね?みたいな、この場合の可愛いはルッキズム的な意味合いを含んでないのは分かるんだけど、ちょっと引っかかった。

似たような感覚になった所は結構あって、女性の苦しみを訴えるシーンや男性がそれを退けるシーンで
「これでは男性 対 女性にならないか?男性にもう少し作中で発言権があっても良いのでは?」
という気持ちと
「今は女性の労働環境及び社会的地位の話をしているのだから、男性が話すターンでは無いのだ。いつでも発言権を与えて貰えると思うな、聞け。」
という気持ちとで揺れた。

あとこれ言っちゃうとマジでおしまいなんだけど、作詞作曲、脚本、演出が男性だけなんだよ。
現場の権力勾配がどうなってたかは分からんけど、決定権が男性にあってそれに女性達と少ない男性達が従うっていう構図がこの作品やる上でどうなんやろな〜って気持ちにはなった。
こればっかりはどうしょうもないねんけど、うーん…ってなった。

ただまぁ、決定権がある人だけで創るもんじゃないのは分かってるし、この作品の決定権を男性が握っててやっていけるわけ?みたいなあれでもなくて。

でも作品自体がはちゃめちゃに素晴らしくて最高やったし、もっと再演されて欲しいなって思うからこそ、ちょっとそこ気にはなった。監修とか付けても良いのでは……。

とはいえ本当にめちゃくちゃ良かった。ナイスな描写でガッツポーズ出たシーンが沢山あって(良いシーンと言うより、よく描いた!みたいなシーン)とっても勇気も感じた。
ベンが嫌味なくハリエットを一方的に好きになって勝手にリード(というか一歩間違えたら支配)したり勝手に支えたり(出来てないけど)しようとして、客席に居る私から死ぬ程反感を買ってるの、ナイス描写だしナイス演技だと思った。
いや、ベンが先進的で優しい人(男女や人種を超えて平等にすべきと訴えて議員を目指している)なのは重々承知なのだけど人の話さえぎってキスするとかそういう所が……。

あと曲がめちゃくちゃ良い……ダンスもめちゃくちゃ良い……ばり浴びるよ……。全身浴って感じよ……。ボッコボコにされる……。最高……。
いきなり語彙力失った。
うん、でも本当にどの曲もダンスもめちゃくちゃ良かった。

あとちょこちょこ挟まれるコミカルなシーンやアドリブがちゃんと面白かった笑

あと、ルーシー役の清水くるみさんと、オールドルーシー役の春風ひとみさんが、ちゃんと同一人物に見えたの凄かった!あぁ、このルーシーが年老いてこうなったのねって自然に分かるの凄かった。
春風ひとみさんは、ルーシーのお母さんの役と、オールドルーシー役の兼任をされているんだけど、演じ分けが本当に見事だった。

客席も最後は総スタンディングオベーションで、すげえ盛り上がったし興奮した。
サクッとハッピーエンドじゃないのもね。分かってらっしゃる。はい、私も気を引き締めますって感じ。

たーーーーのしかったーーーーーー。

緊張してきた

大切な話し合いの日が数日後に近付いている。
有難いことに、聞き取りをする人、話し合いをする場所を提供してくれた機関やその機関に所属する職員、私の友人たち、全ての人が私を慮ってくれて、配慮をしてくれていると感じる。

それもこれもまぁ負担がでっかいでっかいだからね〜って感じではあるけれど、私の負担や憤りや辛さを適切に扱ってもらえる、引き受けてもらえると感じられるのは私にとってかなり珍しい体験だし、ここまでバックアップ体制を取ってもらえるなんて初めての事だから感激すらしている。

だけどやっぱり、思い出す事も証拠を集める事も、この証拠が果たして証拠として機能するのか分からないという事も、初対面の人に話す事も、すごくしんどいことで。
自分の感情の手網を握り締めすぎて色んなことを思い出せなくなってしまうことや、逆に記憶に振り回されすぎて感情のコントロールが効かなくなるんじゃないかという不安もある。
どちらの不安も、私が受けた被害を全て伝えきれないという結果に繋がる(シンプルに言えてないとか、感情的すぎて信ぴょう性を疑われるとか)んじゃないかという、被害を引き受けて貰えないことに帰結するのが怖いんだと思っている。

私は加害者を恨んだり呪ったりはしていない。
てめぇ子どもに何してんだよっていう、一大人としてのシンプルな怒りがある。
被害者としての感情というものが、まだ自分のものになっていないと感じる。

誰かとこの話をしている時とかも、こんな事があったとかこんな事を言われたとかされたとか、そういう事は話せるけど、ネタ的というか楽しく話してしまう。
まだ感情の整理が着いていないんだと思うし、今はまだ無理なんだろうとも思う。
その時が来たら勝手に体が反応するとも思う。私の脳とか心とかは複雑で自分でもよく分からないけれど、体の反応はとてもシンプルでわかりやすい。
逆に、身体症状として現れるまで気付けないということでもあるのだけれど……。

とにかくこんなに誠実に大切に扱って貰っているのだから、私も誠実に正直に自分を大切にしながら向き合っていこうと思うし、自分の行動が良い未来に繋がってくれたらいいなと思っている。

私は未来に手を伸ばしたい。

私を心配してくれている全ての人へお願い

ご心配おかけしています。
この件に関しては私は謝りませんが、まぁ全ては加害者のせいなので、ということでご了承頂けたらと思います。

そして私は、あなたの事も心配なのです。
私の話を聞いたり連絡を受けて、傷付いてしまったり、自分の傷が開いたりしていませんか。
自分の体や心をケア出来ていますか。
バーンアウト寸前だったり、加害者への怒りや、信頼や尊敬を裏切られた様な気持ちで苦しくなったりしていませんか。
自分を不甲斐なく思ったり、やり切れない気持ちでしんどくなったりしていませんか。混乱して意味が分からなかったり、何も信じられなくなったり、世の中への不信感でいっぱいになったりしていませんか。

「気付けなくてごめんね」
「話を聞くしか出来なくてごめんね」
「知らなかったとはいえ加害者に利する事をしてしまっていてごめんね」
というような謝罪をよくされています。
私としては、謝るのはあなたじゃないよと思うのですが、どうしても抱いてしまう罪悪感や後悔の気持ちはとてもよく分かります。

私からの連絡や話を聞くことは、決して楽しい事ばかりではありませんよね。
聞いていてズン…となることもあるかと思います。それを自覚していなかったとしても、負担である事に変わりは無いと思います。

ですから、皆さんが私を大切に扱ってくれているように、自分のことも大切に扱って欲しいのです。
私からそれを皆さんにすることは残念ながら現段階では出来ないのです。
それは、そもそもこの件に関しての私からの報告や話は、ある種の暴力性を孕んでいて、その暴力性を無くすためには私が黙るしか無いからです。
あるいは、私が黙っていたことで、更に大きな暴力性のある情報が私が大切にしたい人達に何の知らせも無いままに突然振り落とされる可能性があるからでもあります。

また話したからには、私からも出来る限りのケアをしたい、するべきという気持ちはあるのですが、自分のキャパシティを考えて、全員に必要なだけのケアを私だけで行う事は不可能だとも思っています。

そもそも、私は皆さんを勝手に信頼して被害を打ち明け、今この話をしても大丈夫かという確認も取らないで連絡をし続けています。
本来なら大丈夫かという確認も取らないで連絡をすることは配慮に欠けているし、場合によっては加害(もっと違う言い方あるだろって感じですけど)になってしまう事もあるでしょう。
それは当然、私自身不本意です。大切な人達に必要な配慮をしたいし、傷付けたり負担を押し付けたりしたくない。そもそも大切な人たちのことを私なりにではあるけど最大限大切にしたい。

でもそうすることが出来ない、私自身に私が大切に思っている方々全員に全力でケアをするだけの余裕がある訳でもなく、時間的な猶予がある訳でもない状況であることにも残念ながら変わりは無いのです。

私もこのタイミングで話すべきかどうかぎりぎりまで悩んで、話しています。私を心配してくれている皆さんを、1番傷付けない形を模索しているうちにこんなにぎりぎりのご連絡になってしまった事や、人によっては随分久しぶりな連絡の方に突然こんな形での連絡になってしまったことに関しては、私も申し訳なく思っています。
全ては加害者が引き起こした事とはいえ、私が連絡をした事で結果的に傷付けてしまった人も多いことでしょう。

ですからどうかどうか、誰か信頼出来る人に、いなければ専門機関(被害の話を聞いた人の話も聞いてくれます)などに話したり、今自分は辛い思いでいるのだと把握したりして、自分の傷付きや体や心の状態を安全な場所に置いておいて欲しいのです。
私は、自分の受けた被害よりも、その話を聞いた皆さんがしんどくなってしまう事の方がもっと辛いんです。

そして、もうこれ以上無理だと思ったら、いつでも私を手放してください。
無理に連絡を返さない、しばらくミュート非表示にする、ブロックする、嫌う、どんな方法でも構いません。自分の体や心を守ってください。
それで私が傷付くということはありませんし、もし仮に傷付いたとしてもあなたの責任や問題ではありません。

加えて、私が話して良い(または、話しておくべきだ)と判断してお話している皆さんには、皆さんが話して良いと判断された方にこの件を話してもらって構わないと思っています。もちろん誰彼構わず喧伝などは(不特定多数の人が居る・見られる場所やコンテンツなどでも)しないで頂きたいですし、話す場合はお相手の状態などに配慮をして欲しいのですが。
また、後で誰に話したかだけ連絡を頂けたら嬉しいですが、事前に許可を取るなどはしてもしなくても構いません。
これは私の被害の話でもあると同時に、加害者による加害行為とその責任についての話でもあるからです。ですから私はもうこの件に関して、恥ずかしいとか、誰にも言えない事だとかは思っていません。

繰り返しますが、どうか、自分の体や心を守ってください。

あと、私の状態をもしかすると私以上に心配されている方がいらっしゃるかも知れないので書き記しておきます。読みたい方だけ読んで下さい。





私は、加害者本人に対しては怖いし最悪だし二度と会いたくないと思っています。
ただ、私の記憶にいるマインド加害者に対しては、目玉飛び出すまで後頭部どつき回したいと思っています。実体が無いから出来なくて残念。
という感じです。
今回の件で加害者の謝罪には何の価値もない事を数年の関係性の中ではっきりと自覚しました。
加害者は謝ってもすぐに忘れたり(忘れたふりをしているのかもしれませんが)、人のせいにしたり、突然体調不良になったりして怒っているこちらが悪い様に仕向けてくるし、結局何度も拒否したり嫌がったり怒ったり説明してきた事を繰り返してきたし、私が怒った時に大仰な言葉を使って謝ってこれ以上怒りを向けられないようにしていました。それでも同じ事を何度も繰り返しました。

もう謝って貰わなくても結構です。

ただただ、二度と私や、この件で傷付けた人の前に現れないで欲しいと思っています。これ以上混乱させないで欲しい。ただし、説明を求める人には誠実に説明して欲しい。その責任が加害者にはあると思っています。
加害者が思っている以上の人々が、加害者のせいで、傷付けられている状況に怒ってもいます。

地獄

いたる所に地獄はある。
あそこは地獄だと思っていたら、自分の足元に地獄が近付いてくることもある。
私が地獄を創り出している事もある。

私にとって地獄は身近で、そう悪い所だとも思えない。良き所では無いけれど、当たり前にある所だ。
地獄を撲滅したい時もある。地上には要らないと思う時もある。
パラダイスを創りたい訳じゃないけれど、地獄で生き続けるより、地上で生きていきたいと。

私は地獄でも踊れる力がある。
地獄にちょっといい空間を創ることも出来る。
考え続けることも出来る。

地獄を抜けた時に初めて、私の地獄を覗くことが出来た。
地獄に変わりはないけれど、地獄のくせにキラキラしたものも沢山ある。
あんな所でよく息をしていたものだと我ながら感心しつつ、あのキラキラしたものがあれば地獄にも居着いてしまうなとも感じる。

地獄を抜けたのにふとした時に足元に這い寄ってくる地獄たちが怖い。どこで何をしていてもおしまいなんだと私を絶望させる。

地獄たちは私を責め立てる。
あんなに頑張って入った大学もどうせ退学になるだとか、親も兄妹も親戚も私を蔑み見捨てることになるだとか、友人も助けてくれる大人たちも私に愛想を尽かして見放して、この世でひとりぼっちの罪人として地獄で生き続けることになるだとか、今までのあらゆる何もかもが全て無駄になるだとか。

「勿体ないね〜」
と嫌味な声が頭に響く。明らかに蔑まれている。
地獄に戻る勇気が無くなったのだと分かった。
1度大事にされてしまうと、自分が惜しいのだと。地獄に落ちるのが怖いのだと。
地獄で過ごした20何年は何だったのだろう。

地獄なりに楽しいことも嬉しいことも幸福なことも沢山あったはずなのに、今はもうあそこは恐ろしい場所になってしまった。

だけどいたる所に地獄はある。
それでも地獄でも踊って笑って友達だって作れるかも知れない。
そうしてやはり引き裂かれる。
分断が生まれる。

地獄に生きる人々を踏み台にして地上で生きる事に耐え難い罪悪感もある。
傲慢にも、地獄にいるみんなを救い出して私の罪悪感を解消したいという甘えた欲望もある。

モラトリアムである。

昇級した話

生きていると、人間としての昇級試験みたいなものがあるなと感じる。それは受かった時は全然分からないんだけど、落ちた時は痛烈に自覚させられるもの。それの話。

例えば、人間としてこんなダメな事はしねえよって思ってたのに知らず知らずのうちにそのダメな事に加担してた時とか
「不合格〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」
ってブザーが鳴り響く。その度に自己嫌悪したり、なにくそと軌道修正したり、ぶっ倒れたりするんだけど。

でも何故か合格ファンファーレは鳴らない。
合格して当たり前という事かも知れないし、慢心するなという事かも知れない。だから思えばいつも不合格が積み重なってる気がするし、自分の成長なんて本当にながーーーーーーい目で見ないと気付けない。後々になって、
「あぁ、あれターニングポイントだったな」とか
「昔を思い返せばヤバい人間だったわ成長したな」とか思う位でしか気付けない。

だけど最近、退院してから少しずつ周囲の人々から鐘の音が小さく鳴らされる事が続いていた。私は全く無自覚だったから
「ほーんそうかなぁ?」
って感じで過ごしていた。そして先日からじわじわと、
「あ、これ出来るようになったんだ私」とか
「依存していたものが無くなっても、崩れてないんじゃないか」とか思うことが重なった。

それは本当に小さな小さなファンファーレではあったけれど、聴こえた気がした。

どうやら昇級試験合格したんだ。納得した。

嬉しい。これからは合格ファンファーレもちゃんと聴こえるように耳をすませたい。
不合格の時はちゃんと反省して軌道修正したい。

健やかに。