おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

緊張してきた

大切な話し合いの日が数日後に近付いている。
有難いことに、聞き取りをする人、話し合いをする場所を提供してくれた機関やその機関に所属する職員、私の友人たち、全ての人が私を慮ってくれて、配慮をしてくれていると感じる。

それもこれもまぁ負担がでっかいでっかいだからね〜って感じではあるけれど、私の負担や憤りや辛さを適切に扱ってもらえる、引き受けてもらえると感じられるのは私にとってかなり珍しい体験だし、ここまでバックアップ体制を取ってもらえるなんて初めての事だから感激すらしている。

だけどやっぱり、思い出す事も証拠を集める事も、この証拠が果たして証拠として機能するのか分からないという事も、初対面の人に話す事も、すごくしんどいことで。
自分の感情の手網を握り締めすぎて色んなことを思い出せなくなってしまうことや、逆に記憶に振り回されすぎて感情のコントロールが効かなくなるんじゃないかという不安もある。
どちらの不安も、私が受けた被害を全て伝えきれないという結果に繋がる(シンプルに言えてないとか、感情的すぎて信ぴょう性を疑われるとか)んじゃないかという、被害を引き受けて貰えないことに帰結するのが怖いんだと思っている。

私は加害者を恨んだり呪ったりはしていない。
てめぇ子どもに何してんだよっていう、一大人としてのシンプルな怒りがある。
被害者としての感情というものが、まだ自分のものになっていないと感じる。

誰かとこの話をしている時とかも、こんな事があったとかこんな事を言われたとかされたとか、そういう事は話せるけど、ネタ的というか楽しく話してしまう。
まだ感情の整理が着いていないんだと思うし、今はまだ無理なんだろうとも思う。
その時が来たら勝手に体が反応するとも思う。私の脳とか心とかは複雑で自分でもよく分からないけれど、体の反応はとてもシンプルでわかりやすい。
逆に、身体症状として現れるまで気付けないということでもあるのだけれど……。

とにかくこんなに誠実に大切に扱って貰っているのだから、私も誠実に正直に自分を大切にしながら向き合っていこうと思うし、自分の行動が良い未来に繋がってくれたらいいなと思っている。

私は未来に手を伸ばしたい。