おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

私の「鑑賞」の仕方

芸術鑑賞が好きだ。

というとなんか大袈裟な感じになるね。

でも、お芝居もミュージカルも読書も音楽も絵画も文楽も各種ダンスも、鑑賞するのが好きだ。そろそろ中世貴族になりたいと思うくらい好きだ。あ、でも実はオペラはちょっと苦手かな。でもオペラ戯曲は読むし歌も好き。

私はそういう表現作品を鑑賞する時、表現を受け止めたい、みたいな気持ちで鑑賞する。

とおーーーい所にいる、作者や演者や演出さんやスタッフさん、そしてその作品と、サシでお話する気持ちで、何が言いたいんだろうみたいな気持ちで鑑賞する。

それで響く作品もあるし、全然ピンと来ない作品もあるし、はぁ?ムカつくって思う作品もある。それでいいかなと思ってる。

そしてもちろん、ピンと来ない作品とかムカつく作品は質が悪いとかって話でも全くない。

何が言いたいのか全然分かんないけどなんか受け取ったなって時もあるし、言いたいことは分からんでもないけどなんかやだって時もある。お前訳分からんままやってるやろって思う時だってある。

でもそれは作品の出来不出来やクオリティには関係ない。単純に、私の器に、注がれるなり響かされるなり揺さぶられるなりしたかしなかったかと言うだけ。

街中の人に対してもそう。揺さぶられたり響かされたり注がれたりする人もごく稀に居るけど、基本的には特に何も無く通り過ぎて行くし、通りすがりの人が良いとか悪いとかって話ではない。

でもまぁ、せっかくお金を払うなら、出来たら揺さぶられたりしたい。揺さぶられ無かったとしても色々鑑賞して通りすがってみたらいつか分かるようになる足がかりとかになるかも知れない。通りすがりの人々だって芸術だと思う。

 

けど、出来たら今響きたい。揺さぶられたい。

から、出来るだけ器を大きくして、アンテナを広げて、色んな事を知っていたい。

 

私はこういう鑑賞の仕方をするから、綺麗なものが好きな人とか面白いものや完成度の高いものが好きな人と何かを見に行くと、鑑賞のスピード感や受け取りのスピード感の違いで愕然としたりする。

 

私はそんなサクサク受け取ってサクサク感想が言える人間じゃない。何かを受け止めても、まだまだもっともっと考えたい事や思いを馳せたい事があって、多分忘れるまで一生揺さぶられ続けるから、感想なんて言えないなって思う事がかなり多い。

だからどうしても感想を言わなきゃいけない時は取り敢えず

「楽しかった」「面白かった」

で、終わり。ってしちゃう。嘘ではない。楽しく無かった時は絶対楽しかったなんて言わない。そんな嘘はつかない。

だけどまだまだ考えたいなって思っている事が多いし、必ずしもそれが言葉になる事ばかりでは無い。

感想を言えなくても、つまらなかったとか忘れてしまったとかでは無い。

そもそも、その言葉にならない響きや揺れの空気を感じるのを楽しみたくて、私は鑑賞をしている。

だからもし誰かと一緒に何かを観に行っても、私は個室が並んでる程度の感覚で鑑賞しているから、気持ちを共有し合って一緒に楽しむみたいな事はできない。

だからきっと、私と何かを観に行っても、一緒に行った人はつまらないんだろうなとも思う。