おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

優しくて良い人が嫌いな時

基本的に私は優しくて良い人になりたい。し、優しくて良い人に親切にしてもらって感動したり感激したり、その人の「善さ」に生きる力を貰ったりして今まで生きてきた。し、とてつもなく感謝してる。

それは分かってる。

だけど現実どうしても私が優しくて良い人間でいられない瞬間がある。

金銭や時間等に余裕が無かったり、精神的に参っていたり追い詰められていたり、色んな所から負担が集中している時、そういう色んな時に電車の中で泣いてる赤ちゃんに笑いかけられない自分がいる事を知ってる。その度に善い人間じゃない自分を嫌いになって更に傷付く。

そういう状態が極限まで行くと、私は

「優しくて良い人は色々余裕があるんだろう、いま周りは理解ある人ばかりなんだろう、だからこんな意地悪な気持ちになってる私の事をひどい人だと思っているんだろう。私はこんなに追い詰められてて死にそうにしんどくて苦しいのにあなたは良い人で、恵まれているから良い人を発揮出来て、だから死にそうに苦しんでいる私を酷い人だと糾弾するんだろう。私だって好きでこんなに嫌な人間になってしまった訳では無いのに。私が苦しんでいる上であぐらかいて正義のヒーローしやがって。誰が見てもあなたが良い人で私が酷い人だ。私がこんなに苦しんでいる事を無視して余裕があるあなたが良い人として愛され称賛されるんだ。酷く意地悪な私はみんなから糾弾されるか無視されるんだ。不公平だ。」

という思いで、優しくて良い人に激しい憎悪と嫉妬の刃先を向けてしまうことがある。

 

優しくて良い人になりたいけれど、優しくて良い人に助けられ育てられて来たけれど、それでも世の中が優しくて良い人だけだと私は嫉妬と憎悪で更に醜く苦しくなってしまうみたい。

 

だから世の中には優しくて良い人じゃない人も居てくれないと苦しくなる人が居て、意地悪な人も失礼な人も迷惑な人もひどい人も、居ないといけないみたい。

 

やっぱり、みんなで生きないといけないんだな。

死ねって思っても、誰も死んじゃいけないんだな。

死ねって思っても良いから、一緒に生きなくて良いから、バラバラにそれぞれに生きてなきゃいけないんだな。