おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

津久井やまゆり園へ行ってきました

まず、しんどい話です。心の調子がよろしくない方や、やまゆり園に限らずしんどい話に近寄らない方が良い方は閲覧を避けてください。

 

 

 

 

 

数日前、やまゆり園の事件から3年経ちました。たまたま関東で観劇の予定があり、時期も精神状態も直感も、献花に行けと私に言っているように感じました。

そして予定を済ませ夕方に、津久井やまゆり園に行ってきました。

今まで3年間色んな思いを本当に沢山抱き続けてたので、とにかく犠牲になった方々の冥福を祈りに行けたらという気持ちだったし、静かな気持ちでお祈りだけして帰ろうと思っていました。


もしかしたら悔しい思いやしんどい思いをするかも知れないとある程度覚悟もしていました。


現場に行ってみて、報道や自分で得た知識通り本当に相模原の奥の方にある施設で駅からもかなり遠く、車でないと行けないような土地で、言い方は悪いけれど「隔離」という言葉が思い浮かびました。そんな風に感じてしまったのは少なからず私のコンプレックスからも(私は自分が普通になれなかったから普通の社会から追い出されたというような感覚が自分の中にまだある)来ているのだろうなとも感じ、ではやっぱり私は社会で生きたいんだなと再確認。そして今後社会から隔離されたり追い出されるような事があれば、社会で生きられるならもはやこの国でなくても構わないとも感じました。

そんな気持ちでお花を持ち園に向かいました。

到着寸前に献花台がギリギリの所で片付けられてしまい、職員の方に許可を取り敷地内に直接置かせて頂きました。


とにかく痛く苦しく悲しくなりました。とてもじゃないけれど静かな気持ちでは祈れなかった。報道で映っていた

「痛かったよね、辛かったよね、もっと生きていたかったよね」

の文字がフラッシュバックし、私も全く同じ気持ちでとても痛ましく悲しく、事件への憤りや悔しさよりも犠牲者の方々への

「本当に申し訳ないけれど私には冥福を祈る事しか出来ません。こんな事しか出来なくてごめんなさい。色んな思いを抱えているけど当事者のあなた方に語れる言葉を持ち合わせていません、ごめんなさい。」

という気持ちになりました。


同じくやまゆり園の職員の方にご挨拶をさせて頂けたのですが、本当に黙って頭を下げる事と謝る事(お邪魔しましたという意味で)しか出来ませんでした。職員の方々は皆さん丁寧にお礼を言ってくださったけれど、私がとてもお礼を受け取れる状態に無く、冷やかしに行ったわけでは全くないけれど部外者が突然来てしまって申し訳ないなという気持ちになりました。

色んな想いを抱き、持っているけど、この方々には何も言えない、言ってはいけない、正論だろうが本心だろうが、お悔やみの言葉すら今更不適切だと感じ、そんな重さと悲しさ痛ましさを感じました。ただ頭を下げてお邪魔しましたと言って帰りました。


とてもとても痛かった。悲しかった。あんな山の中で生きてきた命が唐突に奪われた事も、奪ってしまった人が居ることも、痛かった。

結果的にはきちんと痛みを持てて良かったし、見るべきものを目を逸らさずに見れて苦しんだり悲しんだり辛い思いをする事が出来て良かったのだと思います。

これは今の私が知るべき痛みだったと思います。

私が当事者の方々に語る言葉を持ち合わせて居ない事に気付けたのも良かったと思います。本当に、何も言えないというのが分かって良かった。

だけど今まで沢山沢山抱き続けてた想いがあったことも嘘では無いし無駄でも無い。

だけどそれがあの場では何の役にも立ちやしない事も分かった。

その上で、やっぱり私は生きていないといけないと思いました。