おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

生き方と理不尽と映画の話

こんにちは、最近私の怒り方が理不尽だと特定の層からクレームがよく来ます。

まぁ暑いって事1つとっても地球に対して

「誰に許可取ってこんな暑くしとんじゃワレコラ」

くらいは言いますからね。理不尽おばけと呼んで頂いて構いませんことよ。

 

話は変わりますがワタクシ本日うっかりTSUTAYAにテンションを上げてしまい映画を5本も借りてしまいました。

その中の1本で「トガニ 幼き瞳の告発」と言う韓国映画も借りました。

韓国のろう学校で実際に起こった事件を基に作られた映画です。

詳しくは調べて下さい。書きたくない。

「聖者の行進」という日本の昔のドラマを彷彿とさせるというか、どこにでもあるよねぇ…クソッタレ…胸糞……って感じの映画です。

どれくらい胸糞悪いかと言うと、心身の調子が良くない時に、「トガニ」や、「聖者の行進」を見てはいけないと言うのは、「福祉や障害者と関わりのある、(多少なりとも)映画見る人」の中では常識的な位有名な胸糞悪い(でもその胸糞悪さに意味があるし現実の方が万倍胸糞悪い)映画です。

 

で、私は知ってて借りました。あらすじも、実際に起こった事件も知ってて借りました。

私はこの映画を実際に見て、もっと傷付く事が出来る人間だと思ってました。福祉や障害者関係者という点でも当事者という点でも、私個人という人間としても、

「とても傷付くだろう」「もししんどくなったら途中で見るのやめよう」「でも韓国手話見たい」「トラウマ作だろうからしんどいシーンはスキップして見よう」

くらいには思っていました。もっと世の中や他人を信じる事の出来る自分だと思ってました。だからこそ(映画でその信頼を裏切られて)ショックを受けられるだろうと。

 

なのですが、実際に見て傷付いたは傷付いたし、ブルーになったし、胸糞悪いは悪いんですけど…なんとなく

「でもまぁ世の中ってそんなもんやしなぁ」

みたいな感じになってしまいました。

特にスキップもせずきちんと最初から最後まで見て、憤りも悔しさも傷付きも、あるっちゃある程度しか持てなかった事にショックを受けました。それよりも気分がブルーになったよみたいな感じの自分が本当に嫌だった。

 

確かに世の中に理不尽は腐るほどあるし、それらひとつひとつに怒りや憤りを持てる程私に体力がある訳でも無いし、要領も頭も悪いのだから全てに暴れてたら身が持たない。という感覚が私の中にはあって。だから、怒るべき所にだけ怒ろう、何もかもに腹を立てるのはよそう、という生き方をしてきたつもりなんですよ。

だけど、「トガニ」で描かれている事は、紛れもなく私が傷付き怒り狼狽すべき事なのにも関わらず、それではもう傷付けない自分が居て本当に良くない!と傷付きましたしショックでした。皮肉な事に。

「まぁねぇ〜あるあるよねぇバリわかるぅ〜無理無理〜」

程度にしかキャッチ出来ないくらい、自分を傷付ける理不尽に対してのアンテナが鈍っている事に気付きました。

で、そんなリアクションになってしまった自分と私の感性をそんな感じにした私の周囲に対してヒッソリ怒りも湧きました。

もうそんな事でいちいち傷付いてられない、こんな事では泣けないみたいな自分に傷付いた。

 

で、やっぱり理不尽はあるものだし、それら全てに暴れてたら身がもたない。それは変わらないけれど私が私の為に絶対怒るべきで、絶対許してはならないというタイミングで

「あー、まぁ慣れてますんで」

みたいな感覚になるの本当に絶対に良くないと思うんですよ。理不尽の前で死んだフリする事で多少は生きやすくなるかも知れないけれど、そんな安い小手先の技で釣れる生きやすさなんてたかが知れてる。

私は絶対に許してはならない事を、意識して

「許さない」を「投げ出さない」ようにしないといけないみたい。

怒りを持つって体力要るからすぐに諦めて投げ出して無関係な所まで呪ってしまう自家中毒持ちなので、気をつけないと。

腹を立ててちゃんと怒ろう。世の中呪わしい事多すぎやけど、呪わずに、汗かいて、怒ろう。

代謝上げてこ。