おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

年中行事について

もう少しで松の内が明ける。お正月はもう終わり。正直言って年末年始の家族団欒ムードや年明けの祝賀ムードがかなりキツかった。クリスマスに1人より心に負担があった。

クリスマスは家族or恋人or友達と過ごすもの。働いてるやつお疲れちゃん、ボッチはドンマイ!

みたいな空気もしんどいけど一応家族か恋人か友達という選択肢があるしサービス業はかきいれ時だし逃げ道がある。

お正月は家族団欒するもの!親戚が集まって賑やかに(静かな家庭は穏やかに)過ごすもの!みたいな逃げ道の無さ。そんな家庭に産まれていなければ即座にドンマイ枠に入れられる。あと、お正月働くと若干の親戚からの顰蹙を買う。病院、警察、消防、介護施設や交通関係など(24時間365日欠けられない)以外の仕事は特にそう言う風当たりキツいんじゃないだろうか。

だから松の内が明ける事にかなりホッとしている。でももうすぐに成人式が来る。私は成人式に出ない。振袖は親のがあるけど帯とか襦袢とか靴とか無くてそれを誰も準備出来なくて着られない状態。だから周りの同期たちが前撮り写真をアップしているのを見たりすると、とても人間として出来損なっている気分になる。落ちこぼれで取り残されている様な、人間として大切なものが欠けている様な気分になる。私は親に愛されてると思うけど、周りから「愛されてたら振袖くらい準備してくれるよ!」って言われているような気分になる。

きっとあと10日程で成人式があるから、また家族団欒や祝賀ムードに激昴してブログやTwitterFacebookにずるいずるいと書き込むのだと思う。別に誰がずるをして家族団欒とかをしている訳では無いのだけれど。それが分かってるから余計辛い。

妬ましさには私は一生勝てない。

 

話が変わるようで変わらないのだけれど、私の友達の1人はこども食堂で初めてお雑煮を食べたらしい。成人式には振り袖ではなくお母さんのスーツ(ワンピースという子もいた)で行った(まだの人は行く)と言っていた。そういう友達が何人か、居る。お互いに子供の頃の話をしたら「マヨネーズは食べたよね」「食べた〜!」「料理出来なかった頃はレンチン料理ばっかやしな!」「それみある!ばり太るでな!」みたいな事で盛り上がったりする。その友達と話している時はあまり自分の欠損が気にならなくて済む。

でも選べるなら、家族団欒の写真や動画をインスタにあげたりしたかったし、大学生になりたいし一人暮らしをしたい。家族から仕送りをして貰っても健全な気持ちで受け取って感謝出来るような関係を築けている家庭に産まれたかった。振り袖選びに母親や祖母がテンションあげてついてきてちょっと恥ずかしい思いをしながら、でも何日もかけて選びたかった。自分に欠点やコンプレックスを感じても人間としての欠損は感じたりせず育ちたかった。前向きで明るくて優しくて真面目でちょっぴり天然で時々ネガティヴだけど努力家で誰からも可愛がってもらえる友達の多い人間になりたかった。私の事をめっちゃ好きじゃなくていいから、そこそこ好きな人が沢山いる人間になりたかった。

1つの特殊技能みたいな事を褒められるより、100の当たり前の事が出来る人生が良かった。