おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

夢について

夢や希望は贅沢品だと思う。

自殺しないだけで精一杯、誰からも殺されないように頑張る、みたいな人には残酷過ぎるくらい贅沢品だと思う。少なくとも私は。

これはイメージだから当てはまってるから良い悪いとかって話じゃないけれど、誕生日にケーキを買って貰えるような人が持っていたらいいと思う。

私はケーキは自分で買うし、生き延びる事が夢ですなんて絶対に言いたくない。夢を叶える為に頑張って頑張って、それで死にそうになった事が何回もあるから。

願望と夢は違うなと思うし(願望は思ってるだけで良いというイメージ)、信じて努力すべきものが夢なのであればそれはやっぱり贅沢品だと思う。信じて努力出来る体力や環境が無い状態にある人はなかなか手が伸び無いのではないかと思う。その環境を手に入れる為に頑張るのにも莫大な労力が必要だし、それには色んな意味での蓄えがいると思うから。必ずしも手に入る訳じゃないし。あと、世の中常に努力出来る元気な人ばかりではない。もうお願いだから休んでくれ、入院してくれみたいな人も普通に多い。

私は夢は与え合うものじゃなくて勝手に持つものだと思っているから、私が誰かに夢を与える大人になりたいとも思わない。

もし私を見て夢を持つ人が現れても(まず間違いなく現れないと思うけど)全然構わないし、その夢を持った人に私が夢を与えたとは思わない。その人がただ夢を持っただけ。

だから誰かから「夢を持て」って言われても、夢を持って輝いて頑張りながら生きてる人をどれだけ見ても、今の状態の私はそんな砂糖菓子みたいなものの為には頑張れない。この状態を打破すべく立ち上がる元気もない。

でも、そんな贅沢品を当たり前に持てる人が夢を持って叶えていく事まで否定しようとはこれっぽっちも思わないし、夢を持って生きてそれを叶える事は普通に美しい事だと思う。

ただそれは私にとって綺麗な砂糖菓子だというだけで

「わぁ~綺麗な砂糖菓子!」と思うだけで、この砂糖菓子欲しい!とは思わない。だって砂糖菓子だから。ケーキの上に乗ってるサンタクロースだから。この歳になってまであえて欲しいとは思わない。それは夢が砂糖菓子じゃない人が持って行けばいい。


こんなこと言うとカッコつけて

「夢とかwwwへっwww」みたいな事を言ってるみたいになるけれど、そんなつもりは無くて。

私は夢を持って生きていた時期があまりにも苦しかったし、夢が無い事がさも駄目な事であるような空気に責められている様な気分になるし、そもそも自分を信じるみたいな事が根本的に無理なくらいには自己肯定感が低過ぎるからお話にならないだけのこと。

私は数年前「夢は叶えるためにある」とか「努力は必ず報われる」とか「死ぬ気で頑張って死んだ人はいない」とか「夢が無いのは格好悪い、つまらない」みたいな事を言っていた。あの頃が1番生きる事が危うかった。生きる事を脅かされる事にも鈍感だった。

そもそも努力は必ずしも報われないし、報われない努力があったっていい。報われてないと言うことはこれは努力とは言えないなんて思わなくていい。自分で努力を認めていい。叶わないと分かっている事を夢だと呼んでもいい。そもそも頑張ったって頑張らなくたっていい。出来る事が全然無くたっていいし、迷惑かけたっていいし、周りから理解や応援もされたってされなくたっていいし、テッペン取ろうと底辺だろうといい。生きているだけでいい。と、今は思っている。

夢を持てとかこの世に幸せや奇跡は溢れてるとか、そんな綺麗できっと正しい言葉で誰かを切り捨てないで欲しい。綺麗事を言うなとかそんな事じゃない。大人は積極的に綺麗事を言ってそれを実現していくべきだと思う。だけどその正しい綺麗事で誰かを切り捨てていないかという想像力を持ち続けて欲しい。綺麗で正しい事を言う人は往々にしてそういう想像力に欠けていたりする。正義の側にいる人ほど想像する事を忘れないで欲しい。

と、全然明るくない事を新年早々に考えていました。幸先悪そう…。とりあえず死なずにやっていけたら良いなと思います。目の前の事だけキッチリと取り組むようにしよう…。