おとなになるぞ

頑張らず頑張りたい

最近考えること、2

呪いに呪ってる人の事を、許さないまま尊敬出来やしないかと考えたり、こんがらがってるから一旦呪いを手放してみる勇気が欲しいなって思ったりした。うん。用心のために一旦としか言えないの情けないけどでもまたすぐ持ちそうだし別に今も手放せている訳では無いだろうし。将来の自分にかける呪いは減らしたいやーん。

今でも別に誰かに危害を加えなければ呪ったって良いかなと思っているし、そもそも呪わなきゃやってらんねー!こんな攻撃をされて即座に適切な怒りなんて持てねぇー!死ね!みたいな時だってある。そもそも嫌いな子がすごいなって思う事をやってたらそれだけで心が軋むし、嫌いな子の出来が悪いとそれはそれで(嫌いな奴から)こんな出来の悪い物を見せられたみたいな気分でストレスフルになったりもする。

嫌いな子の発言とかにいちいち心を軋ませられたり、好きな人が嫌いな子を好きだったりして心が軋んだり、嫌いな子が私と同じ人を推してるのがめっちゃ嫌だったり、私の生活や人生が嫌いな子に囚われて嫌いな子中心に回るのがすごくしんどかった。

だけど周りから「いつまでも嫌いな子や嫌な記憶に囚われてるなんて時間の無駄だし馬鹿みたいだよ好きな事考えて過ごそう幸せになるのが一番の復讐だよ」

みたいに言われるの本当に心底鬱陶しくて嫌だった。嫌いな子が幸せでも不幸でも腹が立つし心は軋むけど、その子や学校や社会を呪うのを止めることはそいつらに嫌な目に遭わされた過去の私を慰めるのを止めることのような気がして、それは過去の自分を裏切る行為のような気がして手放せなかった。

それでも呪いを(一旦)手放そうかなと思ったのは別に良心の呵責でも誰かに怒られて反省したとかでもましてや許してやろうと思ったとかでもなく、持ってると今の私は苦しくなると思ったから。

だけど今まで安定するから持ってたとかそんなシステマチックに考えられていた訳じゃないし、そもそも呪いとは何なのか具体的に分かっている訳では無いし、今呪ってるなって自覚がある時ばかりでも無い。だからこれからもきっと気付いたらいつの間にか呪いを持っていると思う。

今までは誰かや自分を呪いに呪う事で不条理に耐えたり、自分の痛み苦しみを言語化したり、それを発信したりしていた。我ながら全然エコじゃないな〜と思うけど、私はあまり生きるのが上手くないのでしゃーなしの自家発電だなぁとも思う。

でも生き延びるための生存戦略だったはずの呪いにじわじわ絡め取られる感じが堪らなく苦しくなって来て、自覚してただけでもかなりの期間苦しんだ。体も何度も壊した。

それは、呪わなければならなかった相手のせいでは、きっと無いのだと思う。けど私が悪いと言うのも納得いかない。

呪詛返しを想定してなかった私の甘さは勿論あるし、自分が生きる為に吐いた呪いでこんがらがってるどん臭さも私だなぁって感じだけど、私が悪いかって言うと悪くないと思う。

今までなんとか必死で生きてきて生きる為に人や自分を呪う事を選択したことで、申し訳ない事をしたなって思う人も居るしそれを謝れるけれど、でも仕方なかったなって思う。開き直りかも知れないけれど、あの時の自分にはそれしか無かったもんなって。呪うか死ぬかなら呪おうってなったのも私は偉かったと思う。私を死のうとさせたな!死ね!みたいな。エコじゃないけどこれはこれで人間らしくない?とも思う。

今ならあんな選択が出来たのにとか、この選択はダサかったぞとか、呪いをエネルギーにしてると周りが疲れるやんみたいなツッコミは時々わくけれど、不可逆だからごめんねって。私も出来ればもうちょっとスマートに賢く強く正しく生きてみたかったけどさ。

でもそうじゃ無かったから少しだけ自分の事を好きだよ。

相変わらず肯定は出来ないし、選べるなら二度と私はやりたくないし、やっぱり自分の事恥ずかしいと思ってるし、生きるの下手で頭悪くてどん臭さくて依存しがちで気分屋で要領悪いのにすぐ怒る困ったさんやけど。